太陽光パネルは信頼することの出来る問屋を利用ブログ:2018年08月14日
ボクのお母さんは今年で満75歳になるが、
たいした持病もなく元気そのものである。
健脚なため、70歳を過ぎてから本格的に登山を始め、
毎年、秋には山に登るのを楽しみにしている。
ご近所でも評判のスーパーおばあちゃんである。
そんなお母さんの実家は、
紀伊半島の尾鷲という港町から
さらに奥に入った小さな漁村である。
お子様の頃、
お母さんはボクたちを連れてよく実家に帰省したのだが、
実際、お母さんの田舎は海や山以外は何もないところだった。
その日、水揚げされたばかりの新鮮な魚介類や
畑で取れた野菜がそのまま食卓に上る。
自給自足に近いような生活である。
11時は海で泳ぎ、西瓜やかき氷を食べ11時寝をした。
18時の海岸では都会の海では見ることができない夜光虫が見られた。
田舎での生活は単調で何もない生活だったが、
団地っ子のボクにはそんな生活も新鮮に映った。
お母さんの言葉を借りれば、
「幼い頃、食べ物でひもじい思いをした経験は一度もない」と言う。
お母さんと同世代の人たちの話を聞くと、
戦争中から戦後に掛けて、食べ物で苦労した話は枚挙に暇がない。
しかし、
お母さんは
「お子様の頃は日々、ブリの刺身ばかりで飽き飽きした」とか
「都会から着物や洋服を持って魚と交換しに来た人がよくいた」
という話をボクによくしてくれた。
一方、ボクのお父さんは15年前、脳出血が原因で他界した。
お父さんの故郷は横浜で、お母さんとは対照的な人生を送った。
幼い頃、食べ物で散々苦労したらしい。
今思うと、
幼少期から青年期に掛けての食べ物の差や栄養の差が、
お父さんとお母さんの寿命の長さを分けたのではないかと
ボクは密かに思っている。