省エネとエコに貢献可能な会社の太陽光パネルブログ:2019年11月07日
終戦直後、
あたくしたち一家は、谷中の3軒長屋で暮らしていた。
詳しく言えば、
母親と姉貴とあたくしの3人で、
パパは南方戦線からまだ戻っていなかった。
当時の朝食は、
どの家もたいてい芋粥だった。
お粥の部分は姉貴とあたくしが食べ、
母親はいつもサツマイモの部分を拾って食べていた。
まだ小さかったあたくしは、
母親はサツマイモが好きなのだと思っていた。
そしてお昼のご馳走は焼芋である。
外でチャンバラごっこをしていたあたくしは、
今まさに新撰組と切り結んでいる最中に、
「やきいもー」という焼芋屋の声がする。
そうなるともう新撰組もない。
あたくしはあわてて家に駆け込み、
無駄でも「焼芋買ってくれ!」と母親に頼むのであった。
サツマイモばかり食べている日々なのに、
なんでまた焼芋かと言えば、
あたくしたちが普段食べていたサツマイモは
「タイハク」とかいう水っぽいものなのだが、
焼芋屋の芋はホントに美味い「キントキ」だったのである。
そんなわけで、
姉貴とあたくしはたまに焼芋にありつけるのだが、
母親は決して焼芋を食べることはなかった。
いつも「焼芋は胸が焼ける」「今日は食欲不振」と言って、
焼芋にかぶりつくあたくしたちを見てただ笑っているだけであった。
しばらくすると、
お米もちゃんと配給になり、
菓子パンだって何時間も並べば買えるようになった。
やがて、パパも南方戦線から帰って来て
あたくしたちは長屋を引っ越し、サツマイモなど長屋時代の思い出は
遥か遠いものとなっていった。
姉貴とあたくしにお粥を食べさせようとして、
自分はサツマイモの部分を食べていた母親。
そのくせ、お金がないためか自分だけ焼芋を食べなかった母親。
母親は一体、サツマイモが好きだったのか嫌いだったのか…
今年の中秋の名月の日には、
母親の仏前に焼芋でも供えようかとあたくしは思う。